![Creating Through Contemplative Wandering and Restless Exploration[Part 2 ]](http://tabaya-unitedarrows.com/cdn/shop/articles/img-1746146481425_e5a19e4c-9f75-48fd-af4a-15f70964eec7.jpg?v=1746168416&width=2500)
迷い、揺れながら産む【第二話】
山田隆太郎の仕事
灯油窯での仕事と薪窯、登り窯での仕事を明確に分ける山田さん。それでいて、それぞれの作陶行為はお互いに影響を与えあっているといいます。飾らず、等身大の言葉で語る山田さんの仕事についてお話を伺いました。

作品は思考の振り子
実際、作品に対するインスピレーションはどのように得ているのでしょうか。お話を伺っていると、積極的に想像を膨らませる「攻めの思考」と、何か別のことをしているときに思いつく「待ちの思考」があるようです。
「私は世の中にあるものがどうやってできているか、ほとんどよく知らないのです。焼き物であっても“これはどうやって焼いたのかな?”と想像するしかありません。自分の作品が窯から出てきたときも“どうしてこの色になったのかな?”と、窯の中の火の回り方や温度の変化などを想像することしかできないのです。そんなことを考えながらも次の作品に取りかかっていると“あれ?”と思うときがある。私はこれをインスピレーションだと思っています。でも、映画を見ていたり美術館で他の作品を見ているときに、“あれ?”と思うこともある。私の仕事は思考と作業を行ったり来たりしながら、少しずつ変化する振り子のようなもの。そこに“焼く”という自然の現象が混ざって作品として現れるのかもしれません。ですから、すべての作品がトライアンドエラーの途中です。やればやるほど可能性が広がってしまうから、ほったらかしのアイデアもたくさんあるような気がします」

柔らかい光が刷毛目の表情を引き立てる。

思考の痕跡が土に帰る。

オブジェや鉢、フラワーベースなどダイナミックな作品も良い。
迷うことから迷わない
作品のコンセプトについて「山田が迷いながら作っている(笑)」と笑顔を見せる山田さん。師匠も持たず、自らの型も定めずに作陶へ向かう姿勢は、もはや「迷うことから迷わない」という覚悟さえ感じます。
「例えば美濃の桃山陶や志野焼、織部などは同じ美濃焼でもきちんと分類される様式がありますよね。自分にはそういう様式のような寄る辺がないので、どこかインディーズバンドのような気分になることがあります。あまり定義に捕らわれることもなく、捉えどころのない思考が形になっていく。同じことを違う角度から何度も再現しているような錯覚に陥ることもあります。ただ、どちらかというと灯油窯での作業は仕事として生きていくためにきちんとしたものを作っている感覚があります。その反動というか登り窯では自分の楽しみとして、酒器やオブジェなどの嗜好品に近いものを好きに作っている感覚です。再現性の高い灯油窯で仕事をしたときのデータや感覚が窯焼きに活きることもあるし、逆もまた然り。ですから、最近は少し気楽に向き合うようになってきました。本音を言えばもっと休んで子供と一緒に遊んでいたいですね(笑)」

選別され、出荷を待つ作品たち。

自らの顔を模ったお面を見せてくれる山田さん。

工房の中にはあちらこちらに制作の痕跡が残る。
過程にこそ幸せはある
山田さんにとって、作陶は生きるためにやっている行為。「迷う」「終わらない」という言葉にはネガティブな響きも漂います。ではなぜ続けられるのかと尋ねると「どんな仕事でも辛い部分が違うだけ。だからこそ、楽しくなければ続かないですよ」と笑います。その言葉には、働き方や生き方の本質が詰まっているような気がします。陶芸家という仕事は「陶芸と生活が密着している人」だという当たり前の事実を受け入れ、「わたしは作陶自体が楽しい」と胸を張れる。手軽に正解を求めがちな現代にあって、迷い続ける覚悟を持つ生き様は実に清々しく感じます。「境地には辿り着かない」といいながらロクロを回す姿には、達観したものだけが持つ静謐な空気が漂っていました。

静謐な空気におもわず息を止めてしまう。

自然と生活と芸術。すべてが渾然一体となっている。

「子供が可愛くて。もっと時間を割きたいですね」と、笑顔を見せる。
焼き物マニアのための器ではない
「私の作品は未だ道半ばにある生活の道具で、焼きものマニアのために作っている芸術品ではありません。そんな器が洋服を買おうと思っておしゃれなお店に入ってきた若者の目にとまり、惜しむらくは気に入って買ってもらえるかもしれない。TABAYA UNITED ARROWSに期待しているのは、そういう素敵な偶然です。そうして洋服と同じように所有する喜びや、良い道具を使う幸せを感じてもらえたら嬉しいですね。さらには国外へもそのセレンディピティを広げてくれたら、焼き物の未来も広がるような気がしています」
愛犬のナナちゃんを眺めながら、「願わくば、お客様の豊かさに寄与したい」と続けた言葉が胸を打ちます。死ぬか生きるかの瀬戸際で陶芸と出会い、迷いながら手を動かし続けてきた山田隆太郎さん。そのエネルギーが詰まった器には、生活を楽しくする力がたしかに宿っているようです。

土から生まれ、生活に溶け込んでいく暮らしの道具たち。

愛犬のナナちゃん。器は「小さな家族のための工芸『wan』」のもの。

端正な表情の作品も山田さんの作品の魅力だ。